全能の神はいない/なぜ私だけが苦しむのか
なぜ私だけが苦しむのか-現代のヨブ記-
H・S・クシュナー
- なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記 (岩波現代文庫)/H.S. クシュナー
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ラビ(ユダヤ教の教師)の書いた神についての本です。
端的に、何がかいてあったというと(個人的に)
「病気を治したり、台風をそらしたり、試験に合格させてくれたりする、全能の神はいない」
ということです。
この作者は聖書の『ヨブ記』に注目します。
ヨブ記は簡単に言ってしまうと、神に忠実につかえていたヨブが、突然多くの災難に教われ、神に対する思いを問われ、最後に神がわかりづらい回答をする、という話です。
古典的には「神への忠誠」がヨブ記の主題ですが、この作者は「なぜ正しい人が不幸にみまわれるか」と読み替えます。
そして、ヨブ記での神とヨブの命題を整理します。
A、神は全能であり、世界で生じるすべての出来事は神の意志による。神の意思に反しては、なにごとも起こりえない。
B、神は正義であり公平であって、人間それぞれにふさわしいものを与える。したがって、善き人は栄え、悪しき者は処罰される。
C、ヨブは正しい人である。
ヨブが健康で幸せのうちは3つとも信じることができますが、家が破壊され、家畜が殺され、子供も殺され、自分の健康を害している状態では、どれか一つを否定して、はじめて、残り二つを正しいと主張できる状態になります。
通常の答えは、C、当事者が「正しい人」ではないことを問題にします。
しかしヨブにとっては、本人が精一杯やっている状況で、「正しい人ではない」とされるならば、そんな神は彼にとってはプラスなのでしょうか。ヨブにとってはB、神は「善」ではなくなるのです。
そして作者は、この物語に、A、神は全能ではない、ということを示唆します。
これは個人的には結構斬新でした。
一般的日本人にとっては当たり前のことですが、あえて全能の神がいないことについて書かれると、つい「仕事が上手くいきますように」「子供の咳が直りますように」「テスト合格しますように」とつい祈ってしまったあとに「違う違う、そんなこと祈ったって、意味ないんだ」と思うようになりました。そうするとなんだか不用意に裸になった気分で、なんとなく体の周りがスウスウして少し不安になります。
ちなみにこの作者はこの結論に至るのに、信者の様々な不幸を見るとともに、自らの子供を早老病で亡くしています。
では、神は、祈りは、なにをするか。
この作者は以下のように語っています。
「神は実在しており、宗教家達がでっちあげた空想ではないことを、絶えず私に確信させてくれる事実は、力や希望や勇気を求めて祈る人たちが、祈る前には持ち合わせていなかったそれらのものを、ほとんど例外なく得ているということなのです」
先ほどの結論にくらべると、こちらは意外にしょっぱい。この結論では、 神は、自助のためのカウンセラーに近い感じです。
でも、そういった「神」なら信じられます。
常々感じていた、宗教、神の必要性はそういった自助のための「装置」だったんではないでしょうか。
それが時代によっては「全知全能絶対の神」にしたてられたりして本質がぶれたり、神の代わりに心理学や精神分析が多くの人々を支えるようになったり、「スピリチュアル」的なものに「鰯の頭も信心から」である程度の効果があったりしているのではないでしょうか。
自助を支えるための何か。
それが「神」に一番近いところなのでしょうか。
この本、わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる の「この本がスゴい2008 」で知りました。
Dainさんのオススメがないとこんな本読みません。
ご紹介ありがとうございました。