家の中で鷺を放し飼いしていました/野の鳥は野に | できれば本に埋もれて眠りたい

家の中で鷺を放し飼いしていました/野の鳥は野に

野の鳥は野に

小林照幸


野の鳥は野に―評伝・中西悟堂 (新潮選書)/小林 照幸
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小林照幸の昭和シリーズ(と勝手に命名)の一つ。

日本野鳥の会 の創始者で、屋上樹林、カスミ網の禁止、空気銃の追放、鳥獣保護法の基礎、バードアイランドの設置など、戦前から自然保護活動を行っていた中西悟堂 の評伝。



10歳で秩父の山深い仏門をくぐり、26歳で処女詩集を刊行して、北原白秋室生犀星 に絶賛を受けます。

30歳から約三年半、木食生活に入り、思索を深めながら、自然観察に傾注。

しかし社会からの逃避だということに思い至り、社会復帰。



また執筆活動に入りますが、鳥の放し飼いなどで注目が集まり始め、あるとき鳥類学者の内田清之助や柳田國男 から、鳥の啓蒙活動のため、鳥専門の雑誌を作らないかと話を持ちかけられます。

本人は小説の執筆に専念したかったらしいですが、結局説得され「日本野鳥の会」を設立して機関紙「野鳥」を創刊。富士山の須走で行った最初の探鳥会には、内田清之助や柳田國男はもちろん、北原白秋、金田一京助春彦若山牧水窪田空穂 なども参加したそうです。



そのあとは、カスミ網の禁止の政治的活動(昭和30年頃から終生続くことになる)、環境保護の発言(昭和30年代から『開発しないことが開発となる』といったような発言をつづけている)など面白いところは色々ありますが、細かい注目ポイントを2点だけご紹介。



一つは終生つけていた日記。毎日書いていたそうで、「中西悟堂用箋」とある私箋に「日記」「書信」「受贈」「生活表・メモ」と各月ごとに分け、さらに年度末には「執筆と著作」「放送と講演」「読書目録」「身辺人事」などもまとめてあるそうです。面白そうともやってみたいとも思いますが、家族の「おそらく毎日3時間ほどしか寝ていなかったんではないでしょうか」という発言や、自身の「『夜が勝手に明けたんだ』ともいっていました」との発言を読み断念。



それと心血と金をつぎ込んだ「日本野鳥の会」ですが、後年は本人の意思とは外れていったようです。

鳥と自然を見る思想が鳥だけに偏り始めたり、安易な会員獲得のため紅白歌合戦の赤白の数を数えたりと、当初の思想から外れていくことにに反対をしていると、現役職員から「院政」のように思われ、総会で退陣騒ぎが持ち上がり、最後は自分の意志で退会したなど、やはり人間生きているとなかなか思想だけではうまくいかないものだなぁと思いました。



それ以外にも、家での鳥の放し飼いについて「フンで汚れる」という記者に「乾けば一拭きで取れるし、フンで体調が分かる」と応えていて、愛のなせる技だな、と感じました。


これだけの偉人を今の今までまったく知らなかったので、小林照幸にいい人教えてもらったと思ったのですが、もうちょっと思想面で掘り下げがほしかったですね。選書だからしょうがないのかもしれませんが、日記を前に「その異常とも思える詳細さは、私を痛く疲労させた」とあったのは少し笑えました。