試合だけがサッカーじゃない/ディナモ・フットボール
ディナモ・フットボール
宇都宮徹壱
- ディナモ・フットボール―国家権力とロシア・東欧のサッカー/宇都宮 徹壱
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たとえば温泉に入って「あぁ、いい湯だぁ」とうなるだけか、「この湯は川端康成が入って、あのへんてこな『雪国』を書いたんだよなぁ」と感じ入るか。
これは趣味の問題で自分の入りたいように入ればいいと思うのですが、まぁ、そういう2種類の入り方もあるともいえなくもない。
サッカーも同じで、試合そのもの、選手をみてあぁだこうだいうのもいいのですが、ほかの見方を指南してくれるのが「ディナモ・フットボール」です。
「ディナモ」とは、東欧諸国で冷戦時代に体制側のサッカーチームによくついていた名称だそうです。
「ディナモ・モスクワ」
「ディナモ・ベルリン」
「ディナモ・キエフ」
「ディナモ・ブカレスト」
など、体制側と深く結びつくことで得たアドバンテージにより、その国のリーグで常に強豪チームとして存在していた「ディナモ」
しかし冷戦の終了とともにそのアドバンテージも消え、世間からの「体制」側として反感もあり急速のその力が衰えるも、かといって他にずばぬけた強豪が現れるでもなく。過去の栄光も含め「ディナモ」という名は残っていきます。
そういった全体背景と、それぞれの「ディナモ」の歴史を探っていきます。
まず面白いのは「ディナモ・モスクワ」
戦後すぐイギリスに対外試合に向かい、当時のアーセナルなどのクラブチームに圧倒的な力を見せつけたそうです。
「ディナモ・ベルリン」は往時の強さと現在の凋落の様子。
と語られる歴史と現在のサッカーを取り巻く様子を読んで行くと、試合そのもの以外を見るサッカーというものが存在してもいいなぁ、という感覚に包まれていきます。
がしかしそうはいってもサッカーの試合そのものの魅力を超えられないのは確かですし、この分野の掘り下げが始まったばかりなのも確か。
この本も歴史ばかりに集中せずに、各国のファンの様子をもっとリアルに伝えていれば、もっと面白いものになったような気がします。
それがあまりにもパーソナルなものになったとしても、それはそれでよし。
まだまだ深く掘れそうな穴のようです。