できれば本に埋もれて眠りたい -3ページ目

才能の見切り方/一瞬の風になれ

一瞬の風になれ

佐藤多佳子



一瞬の風になれ(全3巻セット)/佐藤 多佳子
¥4,515
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高校生が主役のスポーツ青春小説なんて初めてか、と思いながらも結構ジンときました。

面白かったです。


あらすじは、ざっくりとはこんな感じです。


プロにスカウトされるほどのサッカーの才能を持った兄。

大好きな兄より努力をしているのに結果が出ず、その才能の差に、サッカーに壁を感じる弟。

中学を卒業し、短距離に才能のある幼馴染と同じ高校に入り、サッカー部に入らず、陸上部に入部。


好きだった「かけっこ」の感じを思い出しながら、短距離・リレーとだんだんと陸上の魅力を感じ、そして部の先輩同期、そして後輩との関係を徐々に構築して、陸上部にはまっていきます。



短距離の上手く走れたときの達成感や、一発勝負の400Mリレーの緊張感と仲間との連帯感など陸上の魅力の十分に語られていますし、絶対的才能を持つ兄や、才能があるも根性のない幼馴染との関係もしっかりと書かれていて、単なる陸上小説、というわけではありません。



でも個人的によかったところが、サッカーの才能に限界を感じて陸上で改めて自分の才能を見出し、努力とともに結果が出て行くところが、一度挫折を経験している分深みを増しています。この一点で他のスポーツ小説よりも味わい深くなっています。

これを読んで、そうそうやっぱり努力には結果が伴わないといけないし、そのためにはやっぱり才能があることに努力を注ぐことが一番、というのを改めて実感しました。単純なことなんですがね。



それから競技的には陸上のリレーはあんなにも一発勝負なものとは思いませんでした。

いつも失敗の危険をはらみながら、高レベルなバトンパスをしていたんでしたね。

リレーなんてオリンピックぐらいしか思い浮かびませんが、オリンピックみたいな場で、同じクラブでもないのにコンビネーションを高めるなんて、結構リスクがあることなんですね。


佐藤多佳子について。

過剰でない書き方、たとえば「イチニツイテ・ヨーイ・ドン」の間に過剰な作家なら山盛り想いをのせていくでしょうが、さっくりいきます。「ドン」も書かない。はじめは肩透かしな感じでしたが、次第にしっくりきました。いいですね。


しゃべれども、しゃべれども 」「神様がくれた指 」とそれなりにひねった作品を読んだあとに、こういうシンプルながらそれなりき小技をきかした作品を読めたのは良かったです。


でも気になるのは少しタイトルがオーソドックスなことでしょうか。

その辺も過剰になり過ぎないように気をつけているんですかね。


ま、何はともあれ時間を忘れてしまう本でした。

年に一度はこんな作品を読むのもいいもんです。

うーん、できれば自分が高校生のときに読みたかった作品かもしれません。

白玉クリームあんみつと夏の月/思考のレッスン

思考のレッスン

丸谷才一


思考のレッスン/丸谷 才一
¥1,300
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作家でも有り文学者でもある丸谷才一と編集者の思考に関するインタビュー集。


レッスン1 思考の型の成型史

レッスン2 私の考え方を励ましてくれた三人

レッスン3 思考の準備

レッスン4 本を読むコツ

レッスン5 考えるコツ

レッスン6 書き方のコツ


という目次で、実際に役立ちそうなのはレッスン4あたりから。


レッスン4は「本はバラバラに読め」「インデックス・リーディング」「人物表、年表を作ろう」など

レッスン5は「『謎』を育てよう」「定説には遠慮するな」「考えることには詩がある」など

レッスン6は「文章は頭の中で完成させよう」「レトリックの大切さ」など

このあたり章が役に立ちそうでしたね。


「考えることには詩がある」などでは「人間がものを考えるときには、詩が付きまとう。ユーモア、アイロニー、軽み、あるいはさらに極端に言えば、滑稽感さえ付きまとう。そういう風情を見落としてしまったとき、人間の考え方は息ぐるしくなって、運動神経の楽しさを失い、ぎこちなくなるんですね。」といって、「人物表、年表」とかいっているロジカルな人がそんな反対な感情も持ち合わしているのが、なかなか面白かったです。



ただし、徹頭徹尾、文学についての話ですね。

ちょっとそのあたりが時代にそぐわない感じがしました。

丸谷才一のすごさが分かっていないだけだとは思いますが。

ただ、ちょっと自分と似たところがあるような気もしますので、他の本も読んでみたいと思います。


面白かったところを一つ。


「つまり昔の日本人ならば、『白玉クリームあんみつ』には比喩的に『夏の月』といった名前をつけたものでしょう。そういう風流な態度がごく当たり前のことだった。それが、『白玉・クリーム・あんみつ』というふうに、ただ中に入っているものの名前を羅列的に並べて書く。・・・これが現代日本文化なんだなあと思ってびっくりした・・・。」


どっちの気持ちもなんだかよく分かります。

どうした絲山/北緯14度

北緯14度

絲山秋子


北緯14度/絲山 秋子
¥1,785
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エッセイは絲的メイソウ しか読んでいませんが、うーんエッセイはイマイチ合わないのかなぁ。


講談社創業100周年記念企画の書き下ろし100本 のなかの一本で、セネガルに2ヶ月間いった紀行文です。

なぜセネガルかは、小学生の時からの憧れのミュージシャンがいるから。

出発から帰国までの心情が綴られ、現地での想いと、得意の別視点を持ち込む手法で群馬の恋人らしき「ムッシュ・コンプロネ」へのメールで構成されています。


少しだけ同行した編集者への心情の変化、現地のコーディネーター「トッカリさん」への甘えと反発、知的憂鬱とでもいうべき医務官の女先生(ラジ&ピースの女医のモデル?)、外交官の現地への興味のなさの反発、セネガル人への友情と、友情の上での甘えへの怒り、そして憧れのミュージシャンとの出会い、など色々な要素がはいっています。


それからセネ飯はおいしそうでしたね。ぶっかけ系ということで。やっぱりフランス植民地だったからなんでしょうか。



でも、紀行文好きとしては、全然ものたりません。

2ヶ月もいるのに、定宿としているダカールから離れのは数度。

ミュージシャンとも会ったのは1回だけで、音楽との触れ合いはそれ以外は1回程度。

自然描写や街の情景よりも多くかかれているのは、現地での人間関係。

人間関係が苦手だろうに、なんで海外までいって人間関係にずっとこだわっているのでしょうか。

人間関係もさほど珍しいものでもなく(誰が好き嫌い、合う合わない、甘えている甘えていない)、むしろ同じなことのほうが新鮮でした。



個人的には、紀行文も芸の一つ。思った感じたことをそのまま書くのではなくて、それなりに芸にして欲しい。不快に思ったことも芸にして楽しめる文にしてくれればいいのですが、なんだかそのままです。なんか読んでいると8:2で不快、という感じです。


それから「ムッシュ・コンプロネ」。創作上の想像かもしれないのでなんともいえないのですが、絲山秋子にしては甘甘で、小説家としての自意識はどうした絲山、といいたいですね。

彼と持ち家ができて、幸せになってしまった、ということなんでしょうか。


小説家の紀行文は文章がしっかりとしているので結構好きなのですが、北緯14度は合いませんでしたね。

女性で絲山秋子の作品が好きな人は、また違うかもしれません。


ばかもの、に期待をしましょう。

ばかもの/絲山 秋子
¥1,365
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短篇は短篇として/アイデアのつくり方


ジェームス・W・ヤング

アイデアのつくり方


アイデアのつくり方/ジェームス W.ヤング
¥816
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ビジネス書で、竹内均の解説を除けば62ページ程度で、非常に薄い本。

原書の初版が1940年で、広告マンの書いた「アイデアのつくり方」についてのワンアイディアの本ですが、なるほどそうかなとも思うのでご紹介。



まず、新しいアイデアとは新しい組み合わせである、としています。

そしてアイデアの生まれる段階を、必ず下記の経過を通って生まれてくるとしてます。


1、資料集め――諸君の当面の課題のための資料と一般知識の貯蔵をたえず豊富にすることにから生まれる資料と。


2、諸君の心の中でこれらの資料に手を加えること。


3、孵化段階。そこでは諸君は意識の外で何かが自分で組み合わせの仕事をやるのにまかせる。


4、アイデアの実際上の誕生。<ユーレカ!分かった!みつけた!>という段階。


5、現実の有用性に合致させるために最終的にアイデアを具現化し、展開させる段階。


それぞれは新鮮なものではありませんが、こうして並べられて、必ずこの経過を辿る、と思ってみるとちょっと納得感がでてきます。


まず、すべてのアイデアは新しい組み合わせである、というのは、極端に言えば人が理解できるアイデアであるなら、理解できる言葉で語られなければならず、であるならまったくの新しいアイデアではなく、それは既知のものの新しい組み合わせ、ということができるでしょう。


で、次の5段階については、たしかにコレをやって新しいアイデアがでないなんてことはない、と直感的に思ってしまいます。


1、は広告であれば、その商品と消費者についての資料集め、そしてそれ以外の個人的な知識や体験の積み重ねですね。まずこの固有の資料集めと、個人の知識、ここで差がつく基礎部分なのでしょう。


2、はその資料の関連性をあれこれ考えることです。つまらないことやどうにもならないことも含めてメモしたり、色々といじってみることです。でもこの段階では、経過は求めません。じっくりとその資料に色々な角度から当たってみることです。たぶんこれがアイデアのマジックタッチというか、本当に差がつく部分でしょう。


3,4、を明文化したのが、この本の目新しいところでしょう。つまり「待つ」という段階を意識的にすることで、アイデアの創り方の論理化できない部分を組み入れ、徒労感をなくすことができたのではないでしょうか。なかなか無意識の作用まで明文化はしづらいものですが、今までの体験からそれができたのが、すごいですね。


5、これがじつは実際的には大事なところかもしれません。それぞれの世知辛い状況に合わせてアイデアを世に送り出すのは、なかなか難しいことですが、逆にこの部分を明文化することで、アイデアそのものの成否ではなく「世に送り出す作業」というのが必要、という意識はあったほうがよりスムーズになるかもしれません。



ビジネス書って針小膨大で、ワンアイデアの短篇ネタを長篇にしたりでがっかりすることも多いですが、この本は短篇は短篇としてしっかりかかれているので、そこは気持ちがいいですね。内容も納得ですし。

28年前の小説誌/街と、その不確かな壁

街と、その不確かな壁

村上春樹





村上春樹の傑作(といわれる)「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の前身の作品。

本人が全集の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の「自作を語る」で「僕はこの『街とその不確かな壁』という小説を『1973年のピンボール』のあとで書いたのだが、このテーマでものを書くのはやはりまだ時期尚早だった・・・この小説を活字にしたことについては今での少なからず公開している」と書いています。


そうはいっても、村上春樹の本はほとんど読んでいるので、ファンとしては一度は読まなくてはと思っていたのですが、機会があったので図書館の書庫から文学界昭和55年9月号を出してもらい、読んでみることにしました。


これは「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の並行に進む話の「世界の終わり」側の元の部分のようですね。


壁に囲まれた街からやってきた女の子の影にしたがって街に入り、そこで過ごす日々。

街での奇妙な生活に慣れていくも違和感を感じはじめて・・・。


と、まぁ半分は「世界の終わり」、残り半分はオリジナル、ですね。

世界の終わり」だけなので観念小説のようになっていて、非常にとっつきにくい作品です。

本人が「話をもっと相対化させなければいけない」と思ったのも、至極納得。

まぁ、それでエンターテイメント的な「ハードボイルドワンダーランド」を同時並行させようとは、普通はなかなか思わないですが。


ウィキペディアの解説 が非常によくできているので、これを読んだほうがわかりやすいぐらいの作品でした。


それでも面白いのは、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」との対比ですね。

ラストは違っているし、「影」や「夢」についても比較的はっきりと書かれています。

世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」について、曖昧なところを考えるのにちょっとは役に立つかもしれません。



しかし「失敗作」と思って読むとダメですね。なかなか素直に読めなくて苦労しました。


でも、こうやって「発掘」するのは、なかなか面白い。むしろ本を読むまでの方が楽しむことができたかもしれません。


それから28年前の小説誌を手にとって、久しぶりに古本の匂いと黄ばんでざらざらとした紙の感触を味わいました。目的以外のページを見ても、知らない作家がほとんど。そうか時代も変わったからなぁ、と一瞬思いましたが元々小説誌なんて読む習慣がないので、たぶん最新号を手にとっても同じ感覚だと思います。28年前が意外に遠く感じられません。きっと28年前の自分と小説誌の距離が変わってないからなんでしょう。



世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫)/村上 春樹
¥620
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世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈下〉 (新潮文庫)/村上 春樹
¥580
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究極じゃなくても/ビル・ブライトンの究極のアウトドア体験

ビル・ブライソンの究極のアウトドア体験

A WALK in the WOODS


ビル・ブライソン



できれば本に埋もれて眠りたい-ビルブライソン


アメリカ東部のアパラチア山脈(って中学以来ですね)に沿って南北約3500km、14州に渡るの自然歩道(アパラチアントレイル )を、今までアウトドアとは無縁の筆者が縦断する旅行記です。


なんでこの人がアパラチアントレイルを歩こうかと思ったかは分かりませんが、アメリカ都市文化にたっぷり浸った(快適なベッド・大量のコーラ・大甘のお菓子)まま、森の中を歩き出すのが、この作品の一番面白いところでしょうか。

また相棒も始終ドーナツを食べないと落ち着かないようなタイプの人で、辛らつな言葉を吐きながら、一緒に歩いていきます。


最初の一日目に、二人とも荷物の重さに驚き、次第に遅れ待ってもこない相棒を探しに行くと、腹を立てヒステリー状態で荷物の大半を捨てていました。キャンプ地に着くと夕食も取らずに就寝。


こんな感じで始まるのですが、それでもやめずに歩きつづけるんですね。

熊らしきものに脅かされ、不愉快な同行者と会い、宿があれば泊まってベッドを楽しみまずいミートパイを食べコーラを飲んで、なければスニッカーズを食べ、進んでいきます。


興味を持ったのが、筆者が熊を恐れて多くの友人に同行を求めるのですが、名乗りをあげたのがかつてのクラスメイト(卒業後25年間に4-5回あった程度)で、その二人でいくことになるのですね。うーん日本人なら間違いなく1人でいくような気がします。どうだろう。


それから自然の描写がとても少ない。もちらんあるにはあるのですが、日本人の旅行記と比べると景色よりもケーキやテレビドラマのほうが良く出てくる印象があります。


あと、途中でショートカットしたり、相棒がいたのは最初と最後で、途中は1人で歩いているんですね。「完踏」とかにはあまりこだわらない。


片足は都市文化につっこみながら、もう片足でタフにアバウトに歩きつづける、そんなところが「アメリカ人」というかんじなのでしょか。


個人的には、アメリカの山小屋のまずい食事やスニッカーズ漬けの食事はかんべんですが、「ロングトレイル」というのには、とても惹かれるものがありますね。



日本人の踏破の方はこちら で読めます。

加藤 則芳 さんの本は「ジョン・ミューアトレイルを行く 」も面白いですよ。


ジョン・ミューア・トレイルを行く―バックパッキング340キロ/加藤 則芳
¥2,310
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最後に。

この本のタイトルはひどいですね。

なんでA WALK in the WOODSが究極のアウトドア体験、になるんでしょう。

究極でもないし、アウトドア体験って、範囲広すぎ。

最近はこういったふざけたタイトルに惑わされずに本を選べるようになりましたが(こういうジャンルレスな本に多い)、編集者が悪いのか訳者が悪いのか。

でも、およそ「究極」からほど遠い内容だからこそ「究極」という文字が必要なのかもしれませんが、でもどうだろう。

ちょうどいい佐藤多佳子節/神様がくれた指

神様がくれた指

佐藤多佳子


神様がくれた指 (新潮文庫)/佐藤 多佳子
¥860
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久しぶりの普通の小説。佐藤多佳子の丁寧なテイストを楽しめました。


あらすじは、主人公は二人。刑務所がえりの昔かたぎのスリと弁護士くずれの占い師。

刑務所から出たその日、迎えにきてもらった育ての親の財布を掏られ、そのスリのあとを追うと、路上で投げ飛ばされ肩を脱臼。そこに偶然通りかかった占い師が自分の家の大家である医者に連れて行って、奇妙な縁が生じてしばらく二人は一緒に住むようになります。スリは、自分を投げ飛ばしたスリチームを追うがなかなか見つかりません。一方の主人公は、弁護士の家に生まれてその反発からいつのまにか占い師になったものの、ギャンブルで生活が破綻寸前。ある高校生の客を占っていると、非常に悪いカードがでてきます。気になって色々言うが逃げられてしまいますが、また別の日にやってきて色々話すうちに漠然とした状況がわかってきます。そしてあるときまた二人の主人公の偶然が重なって物語が展開し始めます。


佐藤多佳子は2冊目ですが、派手すぎず地味すぎない主人公の人選と、主人公の適度な書き込み(余計な心理描写や背景説明が少ない)、人生の機微を丁寧にフラットに書いていて、なにか「佐藤多佳子節」のようなものを感じて安心して読めました。


主人公の造詣もありますが脇役もでしゃばらず、スリの親分のや、追っているスリチームの頭の冷酷さとその揺らぎ、などいい味があります。


ラストは若干ご都合的でしたが、ここまで書き込んであれば主人公に情が移ってしまい大目に見て楽しめます。

最後の二人でやる場面が書きたかったのかなぁ、とも思います。


2冊読んで楽しめたのでやっぱり機会があれば「一瞬の風になれ」を読んでみたいと思います。

佐藤雅彦をなめてはいけない/経済ってそういうことだったのか会議

経済ってそういうことだったのか会議

佐藤雅彦 竹中平蔵


経済ってそういうことだったのか会議 (日経ビジネス人文庫)/佐藤 雅彦
¥630
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何かで読んだ「経済の難しい話を簡単に説明できるのは竹中平蔵 がいい」というのに影響されて読み始めました。


軽く読めるのかなぁー、と思っていたのですが、佐藤雅彦 が意外と曲者。

「経済学の語源は『共同体のあり方』という部分に興味を持った」という佐藤雅彦の思いで始まったこの対談は、意外に硬派で古典的で本質的な質問が多いです。


で、原則論は分かりやすく応えるのですが、すぐに改革路線に持っていく竹中平蔵。


仕事もできて高給の佐藤雅彦とのQAなので、小泉内閣でいったい何が行われていたか、という原則論理想論を確認するにはもってこいの素材ですね。ニュースやコラムでは分からない基本的なことが分かります。


経済学にとって「政府の最終的な目的は失業をなくすこと」「人間は労働力」とかドライな視点が勉強になりました。あとは「東京アクアライン がゼネコンと橋梁会社と予算を折半するためトンネルと橋になった」とか「大企業の幹部より中小の社長ほうが経済をみている」なんて話も面白かったです。


なんでしょう、半分は大体知っていて、1/4は興味深くて、1/4は偏っている、そんな印象でしょうか。

バランスを取るためには他の評論家の話も聞いたほうがいいでしょう。


しかし、この佐藤雅彦って人、ピタゴラススイッチをつくりながら、髭剃りのジレットの新聞切り抜きを出してきたり(ジレットの筆頭株主のウォーレン・バフェットの「寝る時に世界中でひげが伸びていると想像すると、安眠できる」というコメントの皮膚感覚が面白い)、子供みたいな心と大人の探究心と、隙がない、と改めて感心しました。



パンクな監督/教えてください。富野です

教えてください。富野です

富野 由悠季



できれば本に埋もれて眠りたい-tomino




ガンダムの監督で有名な富野由悠季の対談集です。


ホスピス医 森津純子

軍事アナリスト 中村好寿

水泳インストラクター 千葉すず

ユビキタス・ネットワーキング研究所所長 坂村健

津軽三味線プレーヤー 上妻宏光

フェイシャルセラピスト かづきれいこ

Johnso &Johnson Product Director

劇団誠 座長 松井誠

明治大学文学部教授 齋藤孝

東京大学大学院人文社会系研究科助教授 加藤陽子

リンガーハット代表取締役 米濱和英

「夜回り先生」著者 水谷修

青山学院大学文学部教授 石崎晴己

宇宙飛行士 野口聡一

バイオマス研究開発 赤星栄志

東京大学生産技術研究所助教授 沖大幹

津田塾大学教授臨床心理学 山崖俊子

チャイルド・ライフ・スペシャリスト 藤井あけみ

民俗学者 大月隆寛

GEN CORPORATION 柳沢源内 坂巻たみ 横山保俊

臨床心理士 三沢直子

呉市海事歴史資料館「大和ミュージアム」戸高一成 山本一洋 青木正美

枡一市村酒造場取締役 セーラ・マリ・カミングス

国際日本文化研究センター所長 山折哲雄 


と、学者から社長、男女織り交ぜての対談になっています。


あとがきの福井晴敏の「世界の中心で『教えてください』と叫ぶ」にあるように、当初は富野監督のもとをファンやスタッフが訪れる「富野さん、こんちには」という企画だったものを、楽をすることを知らない富野監督が対談形式にしてしまった、という経緯からも分かるように富野監督、通常の対談では考えられないぐらい熱心に対談しています。


でもね富野監督、意見が強すぎ情熱もありすぎて、最初は老人の繰言に聞こえるんですね。でもその問題意識が分かってくると、対談の歯車もあってきて面白くなってきます。



東京大学大学院人文社会系研究科助教授 加藤陽子
国際日本文化研究センター所長 山折哲雄 
青山学院大学文学部教授 石崎晴己


あたりの現代史の話はなかなか面白かったですし、



臨床心理士 三沢直子

津田塾大学教授臨床心理学 山崖俊子


あたりの子育て論は興味深かったのですが、この世代とフェミニストとの対談、という視点でも面白かったです。



GEN CORPORATION 柳沢源内 坂巻たみ 横山保俊

の1人のりヘリコプターはいいですね。セグウェイ以来の驚きです。



呉市海事歴史資料館「大和ミュージアム」戸高一成 山本一洋 青木正美

も基本的に戦艦とかはあまり興味がないのですが、「大和1/10できるだけ本物」というのにはぐっときました。


強烈な表紙も、読むに連れてその自分の体裁をいとわないパンクな姿勢に納得しました。



富野監督の高い職業意識が伝わる、濃い対談集でした。

1965年のノンフィクション・ノヴェル/冷血

冷血

トルーマン・カポーティ


冷血 (新潮文庫)/トルーマン カポーティ
¥940
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40年以上前のノンフィクション・ノヴェルは、と思ってましたが、読み応えのある本でした。



カンザス州の農村地帯で起きた一家殺人事件の物語です。


豊かな大地が広がるカンザス州で、着実に農業で成功を収めていき、誰もが信頼する地域のリーダー格となった農夫、いまでいう軽い精神病的なその妻、溌剌として楽器の練習からケーキの焼き方までいろいろなことに頼られてしまう娘と夜な夜なコヨーテを自動車で追いまわして遊ぶようなやんちゃな息子。そんな日常がはじめは興味深く語られていきます。


犯罪者の片割れは高校卒業後自動車整備工として働き始めるも小切手詐欺や窃盗などをはじめ、刑務所へ。もう1人は幼い頃から貧しく恵まれない家庭に育ち、両親が離婚、母についていくもアル中で、結局孤児院へ行き、そこに父が引き取りに。父はいわゆる「タフガイ」で金儲けはできないが様々な仕事はでき、アラスカで一緒に猟などをして暮らすも、父から離れ軍隊に。そして軍隊でもなじめずに、犯罪に手を染めるようになり、刑務所に。

刑務所で出会った二人は、出所後落ち合って、カンザス州に向かいます。



その二人が一家を襲うのですが、あまりに短慮で、その後の行動も行き当たりばったり。犯した犯罪とその行動のバランスの悪さに底冷えがしてきます。しかし、一家の生前の様子から、犯人の事件前後、逃避行、逮捕後の様子までを淡々としながらも会話や情景描写も細部まで書き、事件そのものというより、事件周辺の歴史・地史や社会・人間関係が浮かび上がり、事件自体の瞬間的な衝撃よりも、重い鈍い衝撃が残りました。



40年以上も前の作品だと、余計な主義主張が入り読みづらいかな、と思ったのですがさすが自称「アル中でホモで天才」のトルーマン・カポーティ。長い年月を経てもまったく色あせない作品でした。



ティファニーで朝食を」は大して感心はしませんでしたが、こちらは良かったですね。なんか読んだことあるなぁ、と思っていたらなんとなく吉田修一の「悪人」 に似ているな、と思いましたが、「悪人」よりも「冷血」の方がずっと残るものがあります。